かぼちゃ寺 ハズ観音は、正式には「浄土宗西山深草派」という宗派に属する、
妙善寺(みょうぜんじ)というお寺です。
その創建は古く、行基菩薩〔天智7~天平勝宝元年(668~749)〕の開基と言われ、寺の由緒によれば最初は天平年間に建てられた天台宗の寺院でした。
その後、隆盛荒廃と時の流れの中で繰り返し、天文年間(1532~1555 安土桃山時代)になって利春僧都(りしゅんそうず)が再興して西林寺と号するようになり、さらに時代を下り、天昇14年(1586 安土桃山時代後期)妙善尼という方の菩提を弔うために大修理が行われ、寛政(1789~1800 江戸中期)になって今の妙善寺と寺号を改められました。
この妙善寺が「かぼちゃ寺」と呼ばれるのには、もちろん冬至の日に「かぼちゃしるこ」の大接待を行っているからではありますが、その始まりの由縁についてお寺にこんな話が残っております。
この妙善寺がまだ西林寺と呼ばれていたころのことです。その時の和尚さんは利春僧都(りしゅんそうず)というとても位の高い方で、どんな時でもどんな人からの相談にもいつも笑顔で答える暖かい人でした。
夏も終わりに近いある夜のこと… この和尚さんが床に就きウトウトとしていると、枕もとに金色の観音さまが現れてこう告げられます… 「利春よ…、おまえに授けたい福徳がある。明日の朝、浜に出てみるが良い。」 和尚さんはおどろいて目を覚ましました。 (はて、何のことじゃろう・・・?) 和尚さんは観音さまのお告げが気がかりで寝付くこともできず、結局、夜の明けきらないうちに寺の前の浜に出てみることにしました。
すると浜にはぶつくさ言っている漁師の源助がいます。
「お~い、源助じゃないか!朝早くから何しとる?」
「あ、和尚さん。 おらぁ、こんなものにけつまづいただぁ。 こりゃあ何だい。」
源助は、木の実とも野菜ともつかない丸い形をしたものを両手で抱えています。
「ほんに、見たことも無いもんだ。はて、何じゃろう?」
よく見るとそれは源助が持っているものだけではなく、足元の浜辺にもゴロゴロ、沖合いにもプカプカ、無数に流れ着いてきます。
和尚さんは、「源助、じつは昨夜観音さまのお告げがあってなぁ…『福徳を授けるから朝一番に浜に出てみよ』とお告げがあったんじゃ。」とゆうべの夢の話をしました。
「和尚さん、そいつはこの丸いもののことじゃねぇか?」
のぼる朝日を背に二人が話しをしている間にも、それはプカプカと次から次へ流れ着いてきます。
「和尚さん中からすげぇ宝物が出てくるかもしれねぇ。早よ割ってみておくれ。」
「待て待て、これが福徳なら、まずは観音さまにお供えしてからじゃ。」
二人はとりあえず寺まで運ぶことにしました。
「観音さま、これをいったいどうしろとおっしゃるのでしょうか? どうぞお教え下さい。」
和尚さんは手を合わせ、心を込めて観音さまに問いかけましたが、何のお答えもありません。
源助は、一刻も早く、割ってみたくて仕方ありません。「和尚さん、早よ!早よ!」
「何じゃ、子供みたいに。」
和尚さんは恐る恐る包丁を入れてみると、それはパッカリと二つに割れ、中にはきれいな黄色をした実と種がいっぱい入っています。 「なぁんだ、お宝じゃないのか… おらぁ帰るわ。」 源助はがっかりして家に帰っていきました。
「それにしてもこの不思議なものは瓜によく似とる。だとすると食べられるに違いないだろうが…」
和尚さんはその日一日考えこんだ末思いっきってその実を煮て食べてみました。
するとどうでしょう。とても甘く今まで食べたことのない美味しさです。
あくる朝やはり気になる様子で、源助は寺にやってきました。 「和尚さん、あの丸いものどうなった?」
和尚さんは源助に、「煮て食べてみたがな、あんなうまいものは生れて初めてじゃ、源助、おまえも食べてみろ!」 和尚さんにすすめられ、源助は恐る恐る一口食べてみると、甘味が口の中に広がりたまらない美味しさです。
源助からこの話を聞いた村人たちは我先にとお寺に集まって来ました。 「ほんに、こりゃうめぇ! ほっぺたが落ちそうだ!」 みんな生れて初めての美味しさに大喜びです。そこで和尚さんは、楽しみの少ない村人たちのために、月に一回、少しづつふるまうことにしました。
「この実を食べるようになってから顔の色つやが良くなって生き生きとしてきた。 これぞ観音さまのお告げの福徳に違いない!」 和尚さんはそう思い、大切にとっておいた種をまき、たくさん育てました。
ずっと後でわかったことですが、その美味しい実は「かぼちゃ」でした。
これが、妙善寺が「かぼちゃ寺」と呼ばれるようになった始まりです。